戸塚ヨットスクール事件ー不登校、非行、ひきこもり

情緒障害児(不登校、非行、引きこもり)の脳幹を鍛えることで治すという脳幹論を基に体罰を肯定し、ヨットによる訓練を行いました。1979年~1982年までにヨットスクールにて発生した傷害致死事件であり4名もの訓練生が死亡し校長の戸塚宏は逮捕され6年の実刑判決を受けました。戸塚は出所後も体罰の必要性を訴えメディアにて自説を主張しています。「戸塚ヨットスクールを支援する会」も立ち上げられ、著名人も支持者として名を連ねています。死亡事故が起きるまでは、マスメディアにて好意的に報道されていました。体罰は教育にとって是か非か問われる事件となりました。

 

 

※夜桜コメント:わたしが小中学生だった頃は割と体罰が黙認されていて、わたしも体罰を受けた経験があります。しかし、現代の教育現場では体罰は許されない時代になりました。わたしが、この事件で気になるのは戸塚校長が体罰を行いスパルタでヨット訓練をしたところ引きこもりや非行が治ったと主張していることです。また、研究者が戸塚ヨットスクールの治療効果を研究したところ、8割の子どもに治療効果が見られるとする結果がでたとのことです。つまり、死亡事故を起こさず、8割の子が更生したというのが事実であった場合、スパルタは黙認されるのかどうかが気になりました。

わたしの見解は、例えスパルタによって更生、治療が可能であったとしてもやはり体罰はNGです。最大限、戸塚の立場に立って考えたとして、体罰を受けなかったが故に治療・更生できなかったとしても、本人の人生である以上、それは本人が引き受けるべき人生であり、人権侵害を行ってまで他者が介入することは許されないというのがわたしの見解です。

報徳会宇都宮病院事件ー精神科病院・精神疾患

1983年栃木県の報徳会宇都宮病院にて入院患者2名が看護職員による殴打や鉄パイプによる暴行により死亡した。また、事件前の3年間に222名の患者が死亡しており、そのうち19名が不自然な死亡と判定された。事件当時の院長・石川文之進は病院内で絶対的権力を持ち、回診の際にはゴルフのアイアンクラブを持って患者たちを威圧していた。事件発覚後、院長の石川はリンチには直接関与はしていないとされ懲役8ヵ月、リンチを行った職員には懲役4年の刑罰が科せられた。宇都宮病院の問題は連携していた東京大学、警察も薄々察知はしていたが、利害関係もあり捜査には消極的であったことも事件の遠因とされる。宇都宮病院は現在も健在でホームページには事件のことは記載されていない。

 

夜桜コメンこの宇都宮病院ですが、元々、地域社会から評判が悪かったというわけではなく、他の病院では受け入れてもらえない患者も受け入れる病院でもありました。また、時代背景としてこの時代は精神科病院を多く造るため国が多額の補助金を助成したりスタッフの配置基準を甘くする等し、精神病患者を入院させていくという流れがありました。そのため、精神科医療に理念を持った病院というよりも、経営のやりやすさや儲けを目的とした造られた病院が少なくなかったのも事実です。このように精神疾患患者の医療や人権を目的とせず社会的排除を目的とした時代背景の中でこのような猟奇的ともいえる事件が発生したのは必然の成り行きと言えます。そして、この事件を境に精神疾患患者の人権が訴えられようになり精神保健福祉法へと繋がっていきます。

京都伏見介護殺人事件ー認知症母親の介護

2006年京都府京都市の桂川にて54歳の男が86歳の認知症の母親を絞殺し、自らも命を断とうとした介護殺人事件。認知症の母親とアパートにて二人で暮らしていた男は、母親の認知症状の悪化により仕事と介護の両立が困難となり、仕事を辞め母親の介護を中心とする生活となった。しかし、収入が断たれた男は徐々に生活苦に陥り、生活保護を申請するも失業給付の受給を勧められ申請は受理されず。失業給付の支給期間が過ぎた男は、アパート家賃も支払えない状況となり心中を決意し、人生最後の京都市内の観光を母親と行う。そこで、男は母親に「もう生きられへん、ここで終わりやで」と伝える。母親は「そうか、あかんか、こっちにこい、わしの子や、わしがやったる」と返す。男は母親の殺害を決意し絞殺し、自らも自殺を計るが死にきれず殺人容疑で逮捕される。

裁判では、男は自責と後悔の念を述べる。裁判官は「母親は恨みを持たず望んでいないであろう、裁かれるのは介護制度や行政であり、生活保護の対応だとしても過言ではない」「自分を殺めることはしないでください」等、被告を諭した。懲役2年6ヵ月、執行猶予3年の判決。その後、2014年、琵琶湖にて男の遺体が発見される。

 

Bing 動画こちらの動画もご覧ください。

 

夜桜コメント:大変、痛ましく生活保護や介護保険制度の在り方が問われる事件だと思います。ただ、男が生活保護の受給要件を満たしていないとしても、母親は受給要件を満たしており、なぜ母親は生活保護を受給しなかったのか疑問が残ります。母親は元々はデイサービスにも通所していたようなので、ケアマネに相談はできなかったのか、男が仕事をしていた時、母親の施設入所は考えられなかったのか等、疑問が尽きません。ただ、裁判官の発言を見る限り、何かしらそれらが不可能であった理由があるのかもしれません。この事件についてもう少し深くい知りたいのですが残念ながらこれ以上の情報がなく、憶測の域を出ません。

y問題ー精神科病院への強制入院

 1969年、川崎市在住の19歳のYが精神科病院に「不適切」に強制入院させられた事件。当時19歳のYは浪人中で進路を巡って父親と感情的な対立があった。父親はYの言動を不審に思い、川崎市精神衛生相談センターに相談に行くと、白衣を着た相談員のソーシャルワーカーよりYは精神分裂病(統合失調症)だと言われ、後日自宅を訪問すると言われる。父親は本人の母親である妻にそのことを伝えると、母親はYは精神疾患ではなくソーシャルワーカーの訪問も断るべきと反対する。そんな中、ソーシャルワーカーによる自宅訪問が行われ、母親が二度と訪問しないでほしい旨をソーシャルワーカーに伝える。母親はこのソーシャルワーカーの行動を不審に思い、川崎市大師保健所の精神衛生相談員に相談に行く。そこで、母親がYが腰痛があることを伝えると、腰痛を検査してもらうために病院で検査を受けることをアドバイスされ母親も承諾する。しかし、川崎市大師保健所の精神衛生相談員は川崎市精神衛生相談センターのソーシャルワーカーに腰痛の件を伝え、腰痛検査を理由に精神科病院への強制入院を計画する。そして、警察の応援を要請し、同保健所と相談センターの相談員がY宅に行き、Yに手錠をかけ、多摩川保養院に強制入院させることとなった。入院の際には医師の診察はなく保養院の看護師による注射により失神させられた。入院に関しては母親は同意せず、父親はわけもわからず同意してしまうという有様であった。

 Yは退院後の1971年民事訴訟を起こし、1979年に和解となる。この裁判で浮き彫りになったのは、Yへの強制入院は不適切ではあったが違法行為とはならなかったということ。当時、アメリカ駐日大使のライシャワーが19歳の統合失調症の青年に刺されるという事件もあり、社会防衛的視点から精神科病院に強制入院させていく風潮が背景にあると言われている。

 

夜桜コメント:このY問題は、私たち精神保健福祉士が教育課程にて必ず学ぶ事件です。残念ながら精神科ソーシャルワーカーが起こした人権侵害の事件です。この事件はYが訴訟を起こして社会的に注目を集めた事件なのですが、当時、このようなことは珍しいことではなく日本各地で同様の強制入院が行われていたようです。背景にはこの事件の前にアメリカの駐日大使が統合失調症の青年に刺される事件があり、この事件をきっかけに精神疾患のある人を精神病院に強制的に入院させようとする社会防衛の流れができました。このソーシャルワーカーは元々仕事熱心な人であったそうで、この時期のソーシャルワーカーは間違った使命感のもとに人権侵害を引き起こしていったのでした。